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2024/06/05テーマ:

森鴎外が訳したゲーテの戯曲「ファウスト」~ご入居者さまの作品特集♪~

エレガリオ神戸は神戸市中央区海岸通に位置する介護付き有料老人ホームです。近隣には大丸神戸店や元町商店街、ハーバーランドなどがあり、都市型生活を楽しみたいシニアの方にはうってつけの住環境の中、手厚い介護体制やこだわりの食事で安心のシニアライフをサポートします。

こちらの記事は以前、会報誌でご入居者さまが森鴎外について書かれたものです。

お書きになられたご入居者さまは数年前にお亡くなりになられたのですが、生前よく可愛がっていただきました。よくお部屋で楽しくお話させていただいたり、パソコンのお教えしたりなど、たくさんの思い出があり、本当にお世話になりました。

今回のブログでは、生前ご入居者さまが会報誌でお書きになられた作品をご紹介します♪

はじめに

平成二十七年四月号の「海岸通之風」に森鴎外が翻訳したアンデルセンの「即興詩人」について述べたが、鴎外最後の和訳はゲーテの長編戯曲「ファウスト」であった。この戯曲の和訳が完成したのは大正二年(一九一三)であったが、その和訳を発想したのは鴎外が二十三歳の陸軍軍医としてドイツへ留学中の明治十八年(一八八五)のことで、それは留学地ドイツのライプチヒの酒亭「アウエルバッハスケラー」でのことであった。この日のことは鴎外の留学記録である「独逸日記」に次のように記されている。
“明治十八年十二月二十七日 (前略)夜井上とアウエルバッハ店(Auerbachskeller)に至る。ギョエテの「ファウスト」(Faust)を訳するに漢詩体を以てせば如何などと語りあひ、巽軒(註)は終に余に勧むるにこの業を以てす。余もまた戯に之を諾す。“
(註;巽軒(そんけん)井上哲次郎、一八五六~一九四四)。哲学者。福岡大宰府に生まれ、東京開成学校を経て東京大学で哲学を専攻、一八八〇年卒業、大学助教授となり、ドイツに留学、一八九〇年帰国、東京大学文学部教授となった。一八九八年文科大学学長、学士院会員。在独中に森鴎外と親しくなった。)

現在、この酒亭にはドイツ留学時代の若い鴎外、井上巽軒と翻訳が完成後の晩年に近い鴎外、それにファウスト博士やメフィストフェレスを描いた絵画が掲げられているという(図)。本稿ではこの絵画を中心に「ファウスト」翻訳に至る経過について一望したい。

一.鴎外のドイツ留学

すでに述べたように、津和野生まれの森鴎外(林太郎、一八六二~一九二二)は十歳で父とともに上京、年齢を偽って帝大に入り、一八八一年に十九歳で医科大学を卒業した。陸軍軍医副に任ぜられ、二十二歳のとき衛生学研究のためドイツ留学を命じられた。鴎外は一八八四年(明治十七)八月二十三日に横浜を出航、マルセイユ、ベルリンを経て十月二十二日に最初の留学先ライプチヒへ着き、この地の大学衛生学教室でホフマン教授に学んだ。滞在中ドレスデンでドイツ陸軍演習などに参加し、一八八六年三月七日にミュンヘンへ移り、ペッテンコーファー教授に学んだ。さらに一八八七年四月十五日ベルリンへ移って衛生試験場で研究したのち、一八八八年帰国の途に就き、七月三日ベルリン發、各地訪問ののち、マルセイユを七月二十七日出航、九月八日に横浜へ帰着した。この間の鴎外の経験は「独逸日記」に詳しいが、最近、私の高等学校時代の同級生・武智秀夫医学博士が詳しい資料に基づいた「軍医森鴎外のドイツ留学」(二〇一四)を出版した。
ライプチヒ、ミュンヘン、そしてベルリンでドイツの衛生学を学んで一八八八年、二十六歳のとき帰国した鴎外は直ちに陸軍軍医学校教官を命じられ、以後、日清・日露戦争などに従軍、陸軍軍医の最高位である陸軍軍医総監・陸軍医務局長まで昇進し、軍医として功をなした。ドイツから帰国後の二十八歳の一八九〇年、鴎外は「舞姫」、「うたかたの記」、翌年「文づかひ」のいわゆるドイツ三部作を発表した。面白いことに、鴎外はこれらドイツ三部作や「即興詩人」を「文語体」で書いている。詳細は省くが、これら三部作以後、文筆家としての活動も目覚ましく、三十九歳で「即教詩人」の翻訳、四十九歳で「ファウスト」の翻訳に着手、翌年脱稿した。
森鴎外の天才ぶりに大いに力になったのはその語学力であろう。幼時にはオランダ語を学び、以後はもっぱらドイツ語の勉強に集中し、読み書きはもちろん会話にも不自由なかったという。鴎外は「独逸日記」でもドイツ語をしばしば用いているが、彼のドイツ語については植田敏郎(一九九三)が詳しく論じている。鴎外はさらにドイツ留学中に英語も学んだ。幼時から漢文にも親しんでいたので、即興で漢詩を作ることもできた。

二.「ファウスト」について

ドイツに十五世紀から十六世紀に実在したといわれるドクトル・ファウストの伝説を下敷きにしたのがこのゲーテの代表作である。「ファウスト」最古の人形芝居が一七四六年、ハンブルクで上演されたというが、以後も演劇などでしばしば取り上げられたようである。ゲーテも子供のころからこの伝説に並々ならぬ興味を持ち、旅回り一座の人形劇を見たという。
ゲーテ畢生のこの大作は二部からなる長編戯曲で、その第一部を一八〇八年、第二部を一八三三年に発表した。書き始めてから完成まで三十年の歳月を要した。その内容を簡単に述べたい。この戯曲の内容は奇想天外であるが、当時のヨーロッパにおける政治、社会の混乱を背景として考えなければならない。宗教改革後の三十年戦争(一六一八~四八)はプラハに始まり、戦争は全ヨーロッパ中を巻き込み、ドイツ全土は戦場となり、ドイツの国土も人々の心も荒廃した。その後、十四~十六世紀にイタリアで興ったルネサンスがドイツへ流入、人びとを自由にしたといわれる。しかし小栗浩(一九七九)はそれを肯定していない。つまり、「ファウスト」はこの動乱時代の冥暗の中から不気味な姿を現すものだという。
主役はファウスト博士とマルガレーテ(グレートヘン)、それに悪魔メフィストフェレスである。主人公ファウスト博士は錬金術や占星術を使う魔術師であるとされ、悪魔メフィストフェレスと契約し、最後には魂を奪われるという話で、「プロローグ」、献辞と前戯」、「天上の序曲」、のあと、第一部、第二部が続く。そのあらましを述べたい。ファウストはメフィストに導かれて街の酒亭(つまりアウエルバッハ酒亭)に出掛けるが、酒飲みの乱痴気騒ぎが彼を満足させない。「ファウスト」第一部に「ライプチヒなるアウエルバッハの穴倉」とする章があり、「面白げなる連中の酒宴」という部分で学生たちの乱痴気騒ぎが描写されている。ここで暫くファウストとメフィストは
「御覧なさい。自由の民だ。あれが鼓腹の楽だ」。これに対しファウストは
「己はそろそろ行きたいがなあ」と不満を述べている。
メフィストは五十歳のファウストを若返らせ、街の娘マルガレーテに会わせる。ファウストは彼女を愛するあまり。彼女の母や兄を死なせてしまう。グレートヘン(マルガレーテ)はファウストの子を産むが、彼女はこの不義の子を殺して獄に繋がれる。ファウストは彼女を救うため牢へやってくる。しかしグレートヘンは、メフィストから離れられないファウストの助けに応じようとしない。彼女は神の裁きに身を任せる。彼女の巳は破滅したが、心はあくまでも純潔であった。ファウストはメフィストとともに姿を消す。愛する者のもとに留まろうとする心と、愛の神と絆を敵視する本能と、一人の人間の胸に宿る二つの魂の葛藤がここに描かれている。第一部では文学的な詩の形式は自由に述べられているという。第一部の終わりで、グレートヘンを捨てたファウストは「おのれは生まれてこなければよかった」と叫ぶほどの痛恨の思いに駆られた。第二部でファウストは新しい生に蘇えって宮廷に入り、古典ギリシャに憧れ、美女ヘレナと結婚し、戦争で手柄を立て、国土を経営した。ファウストは百歳で盲目となり、死んで行くが、彼の霊はメフィストの手をすり抜けて天上に迎えられる。
ゲーテの「ファウスト」は当時のヨーロッパで多くの人々に知られていたようで、音楽にも取り入れられている。例えば、グノーのオペラ「ファウスト」、ベルリオーズの「ファウストの業罰」、シューベルトの「糸を紡ぐグレートヘン」、ワーグナーの「ファウスト序曲」、あるいはリストの「メフィストワルツ」、ヨハン・シュトラウスのワルツ「メフィスト地獄の叫び」などが知られている。また、演劇や映画でも「ファウスト」はしばしば取り上げられた。

三.ゲーテについて

ゲーテ(Johann Wolfgang Goethe, 一七四九~一八三二)については多く知られ、ここで繰り返す必要はないだろう。彼は詩人だけでなく、物理学者、生物学者、それに政治家でもあったという天才である。その長い生涯は常に女性との恋に彩られ、十代のときライプチヒ大学から移ったシュトラスブルク大学でのフリーデリケとの恋から「野薔薇」が生まれた。小栗浩(一九七九)の年表を見ると、ライプチヒ時代のアンナ・カタリーナに始まり、最後のシュタイン夫人まで十指に余る女性と恋をした。一八三二年に八十三歳で亡くなるまで、ゲーテの創作活動には女性との恋が不可欠だった。
ゲーテは一七四九年、フランクフルトの裕福な家庭に生まれたが、十歳のとき、一七五九年の七年戦争でフランクフルトがフランス軍に占領されるという試練に遭った。ゲーテは一七六四年、ライプチヒ大学で法律を学んだのち、一七七〇年、エルザスのシュトラスブルク大学でさらに法律を学んだ。その後フランクフルトで弁護士を開業、一七七二~七五年に「若きヴェルテルの悩み」、戯曲「鉄腕のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」を完成し、創作活動の傍らスイス旅行をし、一七七六年には枢密顧問官に任ぜられ、一七八二年には貴族に列せられ、財務長官となった。フランス革命後のナポレン戦争の際に彼のいるワイマルが占領された時にナポレオンと会見した。翌年「ファウスト」第一部が完成、この頃に光学・色彩論の研究をする。一八一二年にはベートーヴェンに会う。一八二六年に「ファウスト」第二部ができ、翌年完結し、一八三二年三月二二日にワイマルで永眠した。ゲーテの自然科43学的な業績については省略したが、まさに天才の一生だったといえよう。その生涯はファウスト博士のそれと相通じるように思える。

四.アウエルバッハ酒亭

「ファウスト」博士が悪魔メフィストフェレスに連れられて行ったアウエルバッハスケラ3ー(註)では学生たちが乱痴気騒ぎをしている。一七六五年から六八年までライプチヒ大学学生だったゲーテはこの酒亭に通い、ここで「ファウスト」の発想を練ったのであろう。百年余りのち、この酒亭にドイツ留学中の森鴎外も通ったらしい。そして、井上巽軒と出かけた日に「ファウスト」の翻訳を思い付いたという。ライプチヒ市の中心部にある歩行者天国メドラー・パッサージュにある地下酒亭アウエルバッハ店の地上入り口には「ファウスト」登場人物のブロンズ像があり、店の所在がすぐわかる。私もライプチヒを訪ねる度にこの店で食事をした。この酒亭は一五二五年創業で、古い伝統を持っている。私が訪れた頃にはまだ無かったが、F.ポーレンツによって描かれたフレスコ画(図)が二〇〇九年にこの酒亭に掲げられたという。
(註:Kellerは本来「地下室」の意であるが、しばしば酒亭やレストランという意味に使われる。それはアウエルバッハ酒亭もそうだが、レsトランが地下にあるからである。例えば各地の「市役所レストラン」は“Rathauskeller”という)
この画を見て不思議に思うのは、留学時の森鴎外(軍服姿、左)と老年の紋服姿で完成した「ファウスト」の訳本を手にした鴎外(右)が同時に座っている。鴎外の訳本が出版されたのは一九一三年で、それから鴎外の死の年一九二二年までの間に井上巽軒とこの酒店を訪れたとしか思えない。この十年間に鴎外がライプチヒを訪れたため、この画が出来たのかと思った。しかし、記録を調べても晩年の鴎外がドイツを訪れたという証拠はない。私の同業の友人でライプチヒ大学のフロムホルと博士にアウエルバッハ酒亭まで出向いて調べてもらった。店で訊ねたところ、この絵は想像上のものだとのことであった。
おわりに
ライプチヒはザクセン州の首都ドレスデンと並ぶ美しい街で、学問的には一四〇七年創設のライプチヒ大学が知られ(増田芳雄、一九九三)、数多くの優れた科学者や芸術家を輩出した。歴史的にも興味ある土地で、三十年戦争最大の激戦地で(一六三二年)、スウェーデン王グスタフ・アドルフが戦死したリュッツェンは市の西南方にある。また、ロシアから敗退してきたナポレオン軍を迎え撃ってこれを破った(一八一三年)欧州連合軍の勝利を記念する碑がライプチヒ郊外に建っている。音楽ではゲヴァントハウス管弦楽団や歌劇場のほか、一二一二年に創設のトマス教会でバッハが一七二三年から五〇年まで楽長を勤め,同教会にその墓もある。また、一九八九年の非暴力革命による東西ドイツ再統一の端緒となったニコライ教会などがある。近所にはザクセン州都ドレスデンのほか、磁器でも知られるマイセンもある。森鴎外もライプチヒでの学生生活を楽しんだことであろう。

【引用文献】
植田 敏郎(一九九三)森鴎外の「独逸日記」鴎外文学の淵。大日本図書。
小栗  浩(一九七九)人間ゲーテ。岩波新書。
武智 秀夫(二〇一四)軍医森鴎外のドイツ留学。思文閣出版。
増田 芳雄(一九九三)ライプチヒ大学植物園。図書一月号、十三~十七頁。岩波書店。
森  鴎外(一九九六)独逸日記 小倉日記。森鴎外全集十三。ちくま文庫。

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ご入居相談谷野 貴政(タニノ タカマサ)

9月21日誕生日のおとめ座でO型。
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